2014.08.1
先日のランチタイム、お店のテレビには昼間のバラエティー番組が流れ、佐世保事件の女子高生が精神鑑定されることになったことが報道されていました。
番組内では、事件の背景を伝える司会者と年輩の「専門家」が難しい話をして、ゲストの芸能人が視聴者の気持ちを代弁するようなセリフを述べる構成で進んでいましたが、「被害者本人や家族の観点が無視されている」ことに違和感を感じました。
もし私が、今回の事件の加害者と同じ年に、同じ両親の下に生まれ、まったく同じ環境の中で生きてきていたら、彼女と同じような人間になって、同じく犯罪を犯していたと思います。
今の自分の考えひとつ、
今の自分の人格ひとつを、
すべて自分一人で創ってきた。
そう言い切れる人はいるでしょうか?
目次
人生は選択の繰り返しですが、何かを選択する判断基準は、生まれ育った環境からインプットされた情報によってつくられます。
生まれる時代や育つ環境を自らの意思で選ぶことはできないとしたら、犯罪を犯すような価値観を形成してしまったことは、本人だけの責任なのでしょうか。
映画「風の谷のナウシカ」のあるシーンで、賢者が地下室で腐海植物(毒の瘴気をまき散らす植物)を密かに育てていたナウシカを見つけて驚くシーンがあります。
「ナウシカ!これはどういうことだ?」と責められた彼女はこう言います。
「きれいな水と土では腐海の木々も毒を出さないと解ったの。汚れているのは土なんです。」
植物は土と水によって有害にも無害にもなる。魚も海が汚染されれば汚れてしまう。人間も環境によって綺麗にも汚くも変化してしまう。本当に問題なのは「植物、魚、人間などの存在」ではなく、それらを存在させる「土、海、社会環境などの場」であるということを、宮崎駿さんは伝えたかったのではないでしょうか。
日々、大小問わず様々な事件が生まれ、報道されては忘れられていきます。
社内や家庭でも様々な問題が生まれ、解決されるか放置されていきます。
その事件や問題を起こした個人が100%悪いのか?
その個人がそういった考え・感情・価値観になるよう育てた場(職場・家庭の環境、社会、時代)に根本的な原因があるのか?
みなさんは、どちらが問題だと思われますか?
私は、場と個人(海と魚、土と植物)の関係性も考慮し、場の問題、個人の問題、関係性の問題に3分割して整理をすべきだと考えています。何か一つが100%悪いと責任を問われるのではなく、それぞれに原因があると思うからです。
個人には自由意志があり、選択した責任がありますし、
場には個人に影響を与えた責任があります。
今回の事件を機に、子どもの育て方を考え直すのであれば、場、個人、関係性と同じように、認識の主体、客体、媒体を区別して理解し、子供がそれぞれの場において、どのように世界を認識していたのか(主観:当事者の観点)をしっかりと親が把握して、その認識が間違っていたら、ちゃんと間違いを解いて結びなおすことではないでしょうか。
娘が自分(父親)のことを、どういう存在だと認識しているのか?
自分が伝えたことを、相手はどう認識しているのか?
質問を通して相手の観点(意識の宇宙)を確認、理解し、ズレを埋めていく努力が、これからの子育てには必須だと感じています。
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